”「考えられますけども、考えられたとしてモネ、今はニヒリスティックになるのが一番簡単な世の中なんですよ。そう思いません?」”

 

”「誰でもそういうものを持ってるしね。それが実に浅かろうが深かろうがーーーたぶん、大抵浅いだろうと思うんですけどねーーーそのニヒリスティックになったり、ヤケクソになったり、刹那的になるってことを、今、僕は少しも肯定したくないんですよ。たとえ、それが自分の中にどんなにあってもね、それで映画を作りたいとは思わないんです。それは自分に対する敗北なんですよ。あのー、自分の日常生活がどれほどバカげてて、もし自分の車に機関砲がついてたら周り中を撃ちまくりながらながら走ってるだろうと思っても」”

 

”「思ってもですよ、それをただ放出するために作品を作るんじゃないんじゃないかと思います。だから、自分が善良な人間だから善良な映画を作るんじゃないですよね。自分がくだらない人間だと思ってるから(笑)、善良な人が出て来る映画を作りたいと思うんです」”

 

”「やっぱり人間みんな同じだよって言うんじゃなくてね、その善良なこととかですね、それから、やっぱりこれはあっていいことだとか、優れてる人がいるんじゃないかとか、自分の中じゃなくても、どっかにそういうものがあるんじゃないかと思う気持ちがなかったら、とても作品を作れないわけですよね」”

 

”「それは、と問えば、子どもがある肯定的なものに作品の中で出会ったときに、こんな人いないよとか、こんな先生いなよとか、こんな親はいないよって行っても、そのときに『いないよね』って一緒ん言うんじゃなくて、『不幸にして君は出会ってないだけで,どこかにいるに違いない』って僕は思うんですよ。なぜ思うんだかよくわからないんですけどね。それは一九四一年生まれのせいだとかね(笑)、いろんなことでそんなイデオロギー暴露する人がいますけれども。でも、やっぱり僕は自分がくだらなくても、くだらなくない人はいると思ってますから。だから、そこを拠り所にして映画を作ってますけどね」”

 

宮崎駿
「風の帰る場所」1990.11インタビュー

 

 

 

 

 

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